思い出の釣行 天野賀靖

私の思い出に残っている釣行の第1位は、北海道は道東の標津、羅臼、ウトロを当時会員だった市村さんと釣行した1999年の釣行です。お盆休みを利用しての釣りでしたが、その年は北海道でも30度を越える暑い夏でした。確か、同じ頃、丹沢の玄倉で水難事故があったように記憶しています。私は、オショロコマの顔が見られればいいかな程度の期待だけでした。今と違って、本で仕入れた情報くらいしかなかったので、一回でいい思いをするなんて、まず無理だろうと思っていたからです。
中標津空港に着くとレンタカーを借りて、知床に向かいました。途中、忠類川の河口付近で沢山の人が集まっていたので、聞けば鮭の遡上を見つけようと集まっているという話でしたが、まだ早いだろうと言っていました。例年、鮭が上がるのは秋口だという話でしたので、今回の釣行には関係無いようでした。羅臼に着いて旅館に荷物を下ろすと直ぐに羅臼川で試し釣りです。
直ぐに、最初の一尾を釣って、釣り上がっていきます。
簡単に10数尾釣って、熊の湯辺りまで来たところで、本日の店じまい。
翌日の午前中は、熊の湯の先まで行ってみましたが、同様のサイズのオショロコマが釣れるだけで、贅沢なもので、飽きてしまい、午後は知床峠を越えてウトロに行こうということになったのでした。途中、峠でキタキツネをからかったり気楽にドライブしてウトロに着いたのですが、さて、こちらの状態は全く下調べなしでしたので、どうしようということになって、ともかく、知床半島の先の方に向かって、良さそうな川があったら、そこで釣ることにしました。ところが、橋の手前で車を止めて釣り支度をしている最中に、柔らかい土に大きな熊の足跡(さっき踏んだような新鮮な)を発見してしまい、私は止めた方がいいと言ったのですが、市村さんは少しでも試し釣りをしたいということで私は橋の上で見ているから、そこから見える範囲を釣ることにしてもらい、見ていると、やはり釣れるのはオショロコマばかりで、そんなに危険をおかしてまで釣ることもなかったという感想でした。この日は羅臼に戻って同じ旅館に宿泊し、翌日は中標津から摩周湖方面を釣ろうと決めました。
中標津から摩周湖に向かう途中でこの川で竿を出しました。水藻の中を流れているような川で、なんとも釣り難いのですが、市村さんはした調べしてあったようで、藻の隙間にニジマスがいるのが見えるのです。藻に掛かってしまうので1m流すのも難しく、キャストしたら直ぐにマスが出て、あわせるくらいのタイミングでなければ、藻に掛かって釣れまん。市村さんは数尾上げたようでしたが、私はイライラするばかりでボウズのまま、場所変えになりました。宿を探す途中、牧場の脇を流れている小さな流れで釣ってみましたが、こちらは簡単、サイズは小さいのですが、ヤマメがいくらでも釣れます。そこで少し釣って、宿を探しながら養老牛温泉に行ってみようと向かうと、その近所で、ぶつぶつ怒っている地元のおじさんに会いました。聞けば、ここは混浴なので、若い女性は恥ずかしいからと水着を着て入っているのが不潔で嫌だという考えのようでした。今も、水着入浴の女性に注意をすると、変態みたいに言われたと怒っていたのでした。丁度よかったので宿の話をすると近所の宿を教えてもらいました。何軒かあったのですが、「寅さんの宿 だいいち」という所にきめました。
宿では、ご主人が釣りが好きなようで、入口におおきな鱒の剥製が飾ってありました。なんでも、寅さんの第何話だったかで中原理恵の結婚シーンはここで撮影されたとかで、ご主人も出演されていたようです。私たちの部屋は倍賞千恵子さんが泊まっていた部屋だと説明されました。本当は、それより入口の鱒の話を聞きたかったのですが。外には露天風呂もあり、目の前の川でヤマメが沢山釣れます。道具さえ持っていれば、お風呂のついでに浴衣がけでも釣れます。
こんな感じで、緩やかな流れの所では、ヤマメが釣れて、少し上がって流れがきつくなるとオショロコマが釣れました。
髪がふさふさしてますね。昔はこうだったんですか?忘れていました。でも、今回の釣行はよく覚えています。このまま釣れたのは、オショロコマと山女だけでしたが、最後の最後に、宿のご主人に聞いた川に、翌日、飛行機に乗る前に行く事にしました。牧場の横を流れる小さな川でしたが、さんざ山女を釣って、もう時間だから上がろうとした頃、ちゃら瀬を背中が真っ黒な60センチ以上もある魚が背鰭を出して逃げて行くのにびっくりさせられた所でおしまいになってしまいました。これは、忘れられないですよね。何だったんだろう?鯉かな?そんな事ないよ。あんな浅い川で鯉が冬を越せないだろう。黒かったからアメマスかな?ひょっとしてイトウかも?想像は膨らむばかりです。